猿の気まぐれ日記

こんにちは!このブログでは、ボイトレの知識やカウンセリング の知識や知恵、本の感想などを気まぐれで綴ります。

アドラー心理学・承認欲求・課題の分離

今日は、「嫌われる勇気」でおなじみの、アドラー心理学について話していこうと思います!

みなさんは、自分は承認欲求が強い方だと思いますか?

アドラーは、承認欲求を明確に否定しています。しかし、現代のカウンセラーや精神科医などの方々の中には、承認欲求は幸福感を与えたり、努力のエネルギーになるという意見もあります。

自分は要するに、承認欲求も使いようではないかと考えます。承認欲求を利用したいと思ったら利用すればいいし、承認欲求が妨げになると思ったら、はじに置いてしまえばいいのではないかと思います。何事も、決めつけてしまってはうまくやらないものです。

承認欲求はいらない△

承認欲求は必要△

承認欲求は利用できる○

の感覚がいいのではないかと思います。

自分も、恩師や周りの人たちに認めてもらいたいという承認欲求が、最初に自分を変えようと思ったきっかけだったので、明確に否定するのは避けたいです。しかし、すべての人間に好かれる人間などありえないし、逆に気味が悪いです。そう考えると、承認欲求の矢印の方向をあちこちに振りまいていたら、きっと幸せから遠ざかってしまうのではないかと考えます。これを緩めることで、自意識過剰状態も少しは改善されて、体の力も抜けると思います。歌い方レッスン2で教えた人の評価を気にしない方法論もオススメです。

しかし、愛のある関係では、気のおけない関係になることも大事だが、やはり承認欲求は生まれるものです。承認欲求を全て捨ててしまうという思想は、愛がないということもできるのではないかとも思います。承認欲求を捨てているということに理想を求めるのも危険です。

しかし、絶対に踏まえておかなければいけないのが、他人はそう簡単に変えられず、自分が変わったところで相手が変わってくれるわけでもない。自分が他者の期待を満たす必要がないように、他者もまた自分の期待を満たすために生きているわけではないのです。相手にこっちをみてて欲しい、相手に嫌われたくないなどの承認欲求は、相手をコントロールしたいと思う気持ちから来るものであると自覚することも必要かもしれません。

またアドラーは、課題の分離という考え方の提供もしています。個人は、「これは誰の課題なのか。」という視点から自分の課題と他者の課題とを分離していく必要があります。他者の課題には介入せず、自分の課題には誰一人として介入させないという考えです。「馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない」ということわざがあるように、変わって欲しい他者がいたとして、その人にアプローチをすることはできますが、その人を変えられるのはその人自身であって、変わることの強要をしてしまうと、強烈な反動が返ってきてしまいます。世間で行われているカウンセリングの主な目的も、この水辺まで連れていくことにあります。結局、自分を変えることができるのは自分しかいないのです。

 

アドラーは、他者が自分にどのような評価を下すかは他者の課題であり、あなたにはどうでもないはなしだといっています。

しかし、相手からよく思われたいという気持ちから、自分を磨くのは自分の課題であり、それ悪いことではないと思います。しかし、それに対して相手がどう思うかは相手の課題であるということを心のどこかに置いていないと、相手にとっても自分にとっても後々嫌なことになる可能性はあるので注意です。

みんなから好かれたいという感情だったり、誰にも嫌われたくないという感情は、課題の分離がうまくできていない状態ともいえます。

自分の意見としては、人に興味はほどほどに持つべきであると思っています。他人や他人の感情に不干渉すぎるのは良くないが、過干渉になり、そこに振り回されたり、逆に振り回してしまうというのは、それはそれで誰も幸せにならないのではないかと自分は考えます。

人のために何かをしたいという感情は、あくまで自己満足でやって、感謝されたら儲け物だくらいのスタンスでいるのがいいとも思います。

人に何かを教えるときも、相手のためにという感情がいきすぎて、思い通りにならないときにイライラするよりも、育成ゲームみたいなものだと思って、自分が楽しいから、ゲーム感覚で教えているというスタンスでやるのが一番楽だと思います。それに対して、感謝されるかされないかは、自分の課題ではなく、相手の課題であるという認識を持っていれば、躍起になることもなく、余裕を持てるはずです。