猿の気まぐれ日記

こんにちは!このブログでは、ボイトレの知識やカウンセリング の知識や知恵、本の感想などを気まぐれで綴ります。

エス・超自我・自我

今回は、エス超自我・自我の観点から、ボイトレカウンセリングをしていこうと思います 。

これからの文章は、下の本から参照しています。

 

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心にはエス・自我・超自我という三領域があります。エスとは、本能などの衝動があるところで、遺伝的に受け継がれ、生まれたばかりの赤ん坊の心は、ほとんどがエスからなっています。したがってエスは、一生涯幼児的性格をとどめ、衝動的、非合理的、非社会的、利己的です。超自我とは、自我の中の両親の権威であり、無意識的な両親や理想であります。そして自我とは、この両者と外界との間を調停する役割を果たします。特に現実に即してエスの動きを抑制し、満足させる機能をもっています。

 

プライドの話でもしたように、心の中の水の量は、誰もが一定であります。しかし、エス・自我・超自我のどこに水の量を集中させているかによって、その人のあり方は変わってきます。これらの相互作用によって、自我を中心に症状、行動、夢となって生じてきます。

 

<小山望 わかりやすい臨床心理学 参照>

 

 

 

まず自分は、エスというものを、「汚いもの許容する心」ということができると思います。しかし「利己的な子供心」ということもできます。この性質を強く持った人は、ストレスが溜まることが少ないため、体調不良も少ないのではないでしょうか。本能に従うことを第一に考える面があるので、超自我が強い人よりも人の目を気にすることはありません。またこの性質を強く持っているほうが、超自我が強い人よりも共感できる人々もいるので、本能に従う=優しくないというわけでもありません。

頭でっかちな人よりは、要領良く物事をこなせる場面もあるでしょう。

しかし、面倒くさがり屋な面があるので、努力家(大器晩成型)の人に運動や勉強の面、収入の面で追い抜かれる可能性があります。

 

一方超自我が強い人は、「きれいなものを求める心」ということができ、また「汚いものを許容できない心」ということもできます。このタイプの人は、完璧主義の傾向が強く、そのため身体が固まってしまうことが多いです。しかし、努力家が多いため大器晩成型が多いです。

しかし、無駄に人の目を気にしたり、まじめすぎてしまう面があるので、成長ができず努力が報われないことも実際あります。自分も高校生のころなどは、卓球部でそれなりに居残り練習や自主練習をしていたつもりではいたのですが、結局最下位争いから抜け出せませんでした。

 

また、超自我が強い人は、他人に努力の強制や、きれいなものの強制をしてしまうこともあります。

ブラック企業の本質も、努力家信仰の人が上層部を占めているからだということもできます。よく考えれば、まじめに上司についていっているものが出世し、上層部につくという循環ができているので、ブラック企業が変わらないのも必然ということもできます。

 

よくアニメや漫画でもこの構造がネタに使われます。

たとえば、アニメのサイコパスでは、人間が人間味をなくしたような世界で、平和というものを表面上実現しています(実際は執行官という警察官が、ストレス度の高く潜在的に犯罪者になりそうなものを捕まえる、もしくは排除)。サイコパスにでてくる敵キャラクターは、この偽りに見える平和に違和感を抱き、人間が人間たる社会であるために、極端ではありますが、殺人という手段も使って国家に対立します。また、集団的サイコパスという言葉も使われ、平和のためという言葉やきれいなもののためという言葉のためには手段を選ばないこともあります。この集団的サイコパスは、どの価値観を持った人にも言えることではあります。

 

 

他にも、僕のヒーローアカデミアというアニメでも同じ構造になっています。こちらのほうは、さらに極端な例にはなっています。ヒーローたちとヴィラン連合(敵の同盟)の構造も同じ図式になっていると思います。

 

アニメの話は、殺人も絡めた極端な例になっていますが、現実世界でもこの構造はあてはめられます。まじめな性質を持った人でないと、最終的に何か世の中の役に立つものを発明したり、誰かを感動させるものをつくったりはできないのは確かです。またそういう人の足を引っ張る人がいるのも事実です。しかし、まじめすぎる性質の人が、人を傷つけるのもまたしかりです。また、他人ではなく自分に対する完璧主義が強い人が、いつまでたっても報われないのもまたしかりです。

 

自分は、勧善懲悪な世界は基本あり得ないと思っていて、それぞれにそれぞれの正しさがあると思っています。無自我状態である空の意識とは、白黒両立、半分子供半分大人が成立している状態であると思っており、自己満足のために自分を動かし、自分を変えられる状態であると思っています。

そして、そのおこぼれで自然と他人のことを幸せにできるものです。

 

自分は、まだここに達成するまでには未熟な面はありますが、いつかここに達成したいなと思っています。